2025年03月13日
奥尻町との包括連携協定を締結しました(2025年3月13日)
北海道文教大学と奥尻町は、人材育成や教育・研究、住民の健康の増進及び地域の活性化などの各分野において相互に協力し、地域社会の発展に寄与することを目的として、令和7年3月13日に包括連携協定を締結いたしました。 奥尻町(2025年3月13日 調印)
写真左 奥尻町 町長 新村 卓実 様 、 同右 北海道文教大学 学長 渡部 俊弘
締結式の様子
締結式の様子
奥尻町 町長 新村 卓実 様よりご挨拶
北海道文教大学 学長 渡部 俊弘よりご挨拶
【奥尻町の概要】
人口約2,500人、町木はイチイ(オンコ)、町の花はハマナスです。島内最高峰は神威山 標高584.5mで、島の西部では温泉が湧出しています。また、島の面積の大半がブナの森に覆われているブナの離島北限の島でもあります。豊かなブナの森が残っているころから「緑のダム」として、島全体で水を蓄えることができ、島でありながら一度も水が枯渇したことがありません。
奥尻島の最高峰「神威山」の麓より湧くミネラル分豊富な水は、やわらかく澄んでおり、地元の人に愛されております。島で生きる人々はこの森の恵みを飲料水や生活水として、また生活の糧として利用してきました。島に稲作や酪農・ワイン造りなどの産業が発達したのも豊かな森があるからと言えます。
主な産業は漁業及び観光です。四季折々の島ならではの山菜や日本海の海の幸が豊富な島です。夏季は採れたてのウニやイカ、そしてアワビは一年を通して食する事が出来ます。
島には空港があり、函館空港から一日1往復就航しています。また奥尻港には江差港との間に通年で運航しています。(せたな港とは運休中)
1993年7月12日に起こった北海道南西沖地震では、島の南部の青苗地区を中心に津波の被害を受け198人の尊い命が奪われました。当時4,700人ほどあった人口は、被害による転出などがあり減少傾向にあります。北海道南西沖地震のあと、防波堤などの大規模な津波対策がなされました。スマトラ沖地震のあと、島における津波対策の先進地ということで各国の防災担当者から注目をあびることとなりました。2011年3月11日の東日本大震災後は、奥尻島の災害対策施設の視察での訪問が増加しています。
公式ホームページ https://www.town.okushiri.lg.jp/
◎ 祝100件!包括連携協定先の一覧は こちら
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